私は時々体外受精のトップクラスの腕を持つ医師たちと話し合いの場を持ちます。私が「不妊ルーム」で行っていることをセーフティ・ドライビングとするならば、体外受精を行っている先生たちは「F1ドライバー」かもしれません。
F1は自動車のスピードの限界に挑戦するレースです。例えばホンダは、かつてこのレースに積極的に参戦していました。なぜでしょうか? それは車の限界に近いスピードで安全性が確認されたことを乗用車に還元すれば、より安全な車ができるということではないでしょうか。
私も全く同じように考えているのです。体外受精などトップクラスの現場でおこなわれている知見を、私の「不妊ルーム」での医療に還元すれば、より多くのカップルを妊娠に導けると思っているのです。実際のところ、そうした先生方からのアドバイスや、知見を参考に多くの方が妊娠されています。
具体的なお話しをします。高度生殖医療(ART:Assisted Reproductive Technology)で得られた知見や技術が、一般的な不妊治療(タイミング法や人工授精など)や妊活に還元されることは多々あります。
1. ホルモン管理と排卵予測技術の向上
ARTでは、卵巣刺激やホルモンモニタリングが重要ですが、そこで得られたデータや技術が、タイミング法に活かされています。
- 超音波検査の精度向上:体外受精の過程で卵胞の発育を詳細に観察する技術が発展し、タイミング法でもより正確な排卵予測が可能になっています。
- ホルモン測定の応用:E2(エストラジオール)やLH(黄体形成ホルモン)の測定がARTでは標準的に行われますが、「不妊ルーム」でも測定して、より適切な排卵予測や黄体機能の評価ができるようになりました。
2. 子宮環境の最適化
体外受精の胚移植の妊娠率を上げるための研究から、自然妊娠にも役立つ知識が増えています。
- 子宮内膜の厚みの評価:体外受精では子宮内膜の厚さや状態が妊娠率に影響することがわかっており、この知識を「不妊ルーム」独自のタイミング法でも利用しています。
- 黄体ホルモン補充:黄体機能不全が不妊の原因になることが明らかになり、一般的な治療でもプロゲステロン補充が推奨されることが増えています。
3. 精子の質の評価と改善
ARTでは顕微授精(ICSI)を行うため、精子の質に関する研究が進みました。これが一般診療にも還元されています。
- 精液検査の進化:従来の精子検査(濃度や運動率)だけでなく、精子DNA断片化検査など、より詳細な精子の質を評価する方法が一般的になってきました。
- 精子機能改善のためのサプリメント:コエンザイムQ10や亜鉛、ビタミンDなどのサプリメントが精子の質改善に有効であるというARTの研究結果が出ており、当院の妊娠にも大きく貢献しています。
4. 着床・流産に関する知見
体外受精では胚移植後の着床率を上げるための研究が進み、自然妊娠にも役立つ知識が得られています。
- 免疫因子と着床障害:NK細胞(ナチュラルキラー細胞)やサイトカインの影響が研究され、一般的な不妊治療においても免疫バランスを整える治療が行われるようになりました。
- 血栓リスクの管理:抗リン脂質抗体症候群などが流産リスクを高めることが明らかになり、血液凝固の評価が一般診療でも取り入れられています。
5. 生活習慣の改善アドバイス
ARTの成功率を上げるために、栄養や生活習慣の研究が進み、それが一般診療にも広がっています。
- 食事と妊娠率の関連:地中海式食事(オリーブオイルの摂取など)が妊娠率を高める可能性があることが示され、一般の不妊治療でも推奨されることが増えました。
- ストレスと妊娠:ストレスがホルモンバランスに影響を与えることが明らかになり、マインドフルネスやカウンセリングが妊活の一環として活用されるようになっています。
さいごに
ARTは「特別な治療」と思われがちですが、その知見や技術は一般的な不妊治療やタイミング法にも多く活用されています。ホルモン管理、精子の評価、着床環境の改善、生活習慣の見直しなど、ARTでの研究が一般診療に還元されることで、より多くのカップルが自然妊娠の可能性を高めることができるようになっています。これからもF1の知見を、「不妊ルーム」に取り入れていきたいと思っています。