人工授精(AIH)は医師が排卵のタイミングを把握し、運動性の高い精子を子宮に注入する方法ですが、妊娠率は5〜8%と低い現実があります。
その理由については、EBM(Evidence-Based Medicine:科学的根拠に基づく医療)とNBM(Narrative-Based Medicine:物語に基づく医療)の両方から考えることで、より深く理解できます。
EBM的な理由
EBM的な立場から見ると、まず生物学的な限界が挙げられます。人工授精は自然妊娠に近い形で行われるため、精子が卵子に出会い受精・着床する確率に大きく依存します。排卵誘発剤を併用しても、卵子の質や数、排卵のタイミング、精子の運動性など複数の要因が絡み合うため、確実性は高くありません。
特に女性の年齢が35歳を超えると卵子の質が低下し、妊娠率はさらに下がります。また、卵管の通過性に問題がある場合、AIHでは根本的な解決にならず、体外受精(IVF)が必要になります。
さらに、精子の濃度や運動率に問題がある場合でも、人工授精での改善効果には限界があります。洗浄濃縮された精子を使うとはいえ、子宮内に注入された精子が卵管まで到達するのは険しい道のりです。
また、精子にとって居心地の良い環境は精液の中ですが、人工授精においては生理食塩水による洗浄、濃度調整の過程で、時間とともに精子の元気さが失われていくという指摘が、不妊治療の医師にもあります。私は十分に考えられることだと思います。
NBM的な理由
医療者と患者とのコミュニケーションが不十分な場合、患者が治療の意味や限界を正しく理解できず、「うまくいかないのは自分のせい」と自己責任を感じやすくなるのも問題です。人工授精という治療法の選択が、単なる手技ではなく「希望や不安の表現」であることを理解し、寄り添う姿勢がNBMでは求められます。
性的興奮時には、オキシトシンやドーパミン、エストロゲンなどのホルモンが分泌され、血流が子宮や卵管に集まりやすくなるといわれています。これにより、受精のための環境が整う可能性があります。また、オーガズム時には子宮が収縮し、精子を卵管方向に運ぶサポートをしているという説もあります。
人工授精では、このような性的な刺激や生理的な準備が伴わず、「精子が機械的に入れられるだけ」のプロセスになります。そのため、「体の自然な妊娠準備モード」にスイッチが入りにくいのでは?という仮説が成り立ちます。
さらに、人工授精を受ける環境(診察台で内診されながら、器具で精子を注入される)では、リラックスとは程遠い状態であることがほとんどです。緊張や不安は、ストレスホルモン(コルチゾール)の分泌を促し、これが排卵や着床を妨げるとされています。性的な快感どころか、むしろ「冷たい」「恥ずかしい」「怖い」といった感情が優先されることもあり、これは心理的・生理的に逆効果かもしれません。
人工授精の妊娠率の低さは、単なる技術的な問題や年齢・卵子・精子の質だけではなく、「性的興奮の欠如」という生理的な要素や、治療時の心理状態も関係している可能性があります。この視点はNBMの重要性を再認識させてくれるものであり、治療においては単に「精子を入れれば妊娠する」という機械的発想から脱却する必要があると思います。
人工授精での妊娠率をアップさせるには?
それでは、人工授精の低い妊娠率をアップさせる方法はないのでしょうか? それに対する簡単な方法は、人工授精の前後でセックスすることです。単純な話として、人工授精&セックスによって、精子と卵子が出会う機会が増えます。それがとても重要なのです。
自然妊娠であれ、人工授精であれ、妊娠するために大切なことは、〝排卵したときにそこに精子が存在している〟ことです。不妊治療の先生は、排卵のタイミングを予想して人工授精を行うわけですが、これが必ずしもジャストミートするとは限りません。
さらに大切なことは、精子は受精の場である卵管膨大部まで到達すると、3日〜5日程度の寿命があるのに対して、卵子は排卵後、精子と受精できる能力は12〜24時間しかないことです。ですから、排卵のタイミングに精子が存在していることが、妊娠にはとても大切なのです。
ある研究では、人工授精直後に性交渉をしたグループの方が、性交渉をしなかったグループよりも妊娠率が高かったという結果が報告されています。「絶対的な効果がある」とは言い切れませんが、臨床医の間では一定の支持を得ています。