働く女性が不妊治療を受けると

仕事と妊活のはざまで

女性の社会進出が進み、今やあらゆる分野で女性の力が欠かせなくなっています。

「この部署は女性でなければ回らない」

そう感じている会社も少なくありません。

実際、ある出版社の著名な女性編集長は、こんな本音を語ってくれました。

「採用試験をすると、筆記でも面接でも、上位はほとんど女性なんです。これでは男性が入社できないので、“調整採用”をしているのが実情です」

優秀な女性たちが社会で活躍している一方で、その陰で「結婚」「妊活」のスタートが遅れがちになっていることも否めません。

気がつけば30代後半、周囲が出産ラッシュを迎える中で、ようやく妊娠について真剣に考え始める…。

これは珍しいことではなく、むしろ今の日本では“ごく普通の姿”になりつつあります。

不妊治療で失うもの

しかし、社会で活躍する女性がいざ不妊治療に取り組もうとすると、そこには大きな壁が立ちはだかります。

時間、体力、そしてお金。

特に体外受精に進めば、その負担は想像を超えます。

排卵誘発の注射を繰り返し、卵胞の計測、そして採卵のために何度も通院し、移植のスケジュールに振り回される…。

それらは、「会社員としての時間」も「母としての時間」も、削ってしまいがちです。

そして怖いのは、一度体外受精にエントリーしてしまうと、なかなか抜け出せなくなること。

「ここまでやったのだから、もう一回だけ」

「次こそはうまくいくかもしれない」

まさにギャンブルに負けがこんで、次で取り返そうという射幸心と同じ。

そんな気持ちが背中を押し、気がつけば心も体も疲れ果ててしまう…。

これは決して珍しいケースではありません。

Wさん(38歳)のケース

そんな現実を象徴するようなエピソードを、ある妊活女性が教えてくれました。

Wさん、38歳。

第一子は自然妊娠で授かり、子どもがよちよち歩きを始めた頃、二人目を望むようになりました。

自分たちでタイミングを見ながら妊活を続けましたが、なかなか授からず。不安を抱えながら不妊治療のドアを叩きました。

医師から言われたのは、「37歳を過ぎていますから、体外受精に早めに進むべきです」という言葉。

Wさんはその言葉に従い、採卵、そして移植へと進みました。結果は、妊娠には至りませんでした。

そして、Wさんは「不妊ルーム」に相談に来られました。

彼女が口にした言葉は、私の心に強く残っています。

「体外受精という医療を経験してわかったのは、想像を遥かに超えて、時間的な制約が大きいことでした。私は仕事をしています。とてもじゃないけど、こんな治療を2回、3回と続けることはできません。子育てもありますし、本当に大変な重労働でした。妊娠しなくてもかまいません。先生のところでフォローアップしていただければ、それで十分です」

彼女の瞳には、安堵と涙が入り混じっていました。

「頑張らないと」と走り続けてきた人が、ようやく肩の荷を降ろせた瞬間だったのかもしれません。

本当の意味での「賢明な選択」

体外受精の大変さは、時間的制約だけではありません。

強い薬を繰り返し注射することによる肉体的負担、費用が膨れ上がる経済的負担、そして結果が出なかったときに襲ってくる精神的ダメージ…。

「想像を絶する」と表現した彼女の言葉は、決して大げさではありません。

むしろ、それを正直に語れる人は少数派です。

多くの人は治療の波に飲み込まれ、「やめられないネガティブ・スパイラル」状況に追い込まれていきます。

しかしWさんは、自分の人生を見据え、「ここで立ち止まる」という勇気ある選択をしました。

それは「諦め」ではなく、「賢明な選択」です。

自分にとっての「幸せ」を見つめ直す

私は「不妊ルーム」での経験から常々思います。

不妊治療だけが妊娠に至る道ではない、と。

もちろん、医療の力で子どもを授かることはひとつの方法です。

けれども、子どもができなかったとしても、それまでのプロセスは無駄ではありません。

働く女性にとって不妊治療は、「自分のキャリア」と「家庭」と「未来」を揺るがすことがしばしばです。

だからこそ、どこかで立ち止まり、深呼吸し、自分にとっての「幸せ」を見つめ直すことが必要だと思うのです。

必死に妊活を頑張るあまり、自分を追い詰めるのはやめましょう。

妊活の神様は、あまのじゃくです。

「妊娠は追いかけると逃げて行き、忘れた頃にやってきます」

著者
こまえクリニック院長
こまえクリニック院長放生 勲(ほうじょう いさお)