不妊治療をやめると妊娠するのはなぜ?—オキシトシンが教えてくれる「心と体のつながり」—

「不妊治療をやめたら妊娠した」——よく聞くけれど、なぜ?

「長年治療を続けてもうだめだと思ってやめたら、自然に妊娠しました」

こうした話を本当によく耳にします。

実際、私が「不妊ルーム」を始めたきっかけも、素朴な疑問からでした。

“なぜ、不妊治療をやめると妊娠する人がおおぜいいるのか?”

医学的な説明がつかないように思えるこの現象の裏には、じつは「心と体の密接な関係」が潜んでいます。

私は「不妊治療不妊」という考えに行き着きました。

つまり、不妊治療そのものが心身に強いストレスを与え、その結果、妊娠力を下げてしまうのです。

「不妊治療不妊」という言葉を、私の最初の書籍『妊娠レッスン』(主婦と生活社)の中で紹介したところ、多くの方から「まさに自分のことです」「涙が出ました」という共鳴の声が届きました。

それほど、不妊治療には、大きな心身の負担がかかってくるのです。

ストレスという曖昧な言葉の奥にあるもの

これまで私は、「不妊治療をやめると妊娠する理由」を“ストレス”という言葉で説明してきました。

確かに治療中のストレスから解放されることでホルモンバランスが整い、排卵や受精、着床に良い影響を与えるということは理解できます。

しかし、“ストレス”という一語でこの現象のすべてを説明するのは、どこか物足りなさがあります。

心と体の間には、もっと具体的な「科学的な橋渡し」が存在するのではないか。

そう感じていたときに出会ったのが、「神経伝達物質」でした。神経伝達物質とは、脳の神経細胞どうしが情報をやりとりする伝言係のような物質です。

妊娠を左右する「脳内の仲間たち」

私たちの感情や行動、体の働きは、脳の中で分泌されるさまざまな神経伝達物質によってコントロールされています。

なかでも妊娠に深く関係しているのが、次の3つです。

  • ドーパミン:やる気や幸福感をもたらす
  • セロトニン:心の安定を保ち、ストレスをやわらげる
  • オキシトシン:愛情や信頼、安心感を生み出す

これらがバランスよく働いているとき、脳と体のリズムが整い、妊娠に向けたからだの機能が自然に高まります。

一方で、過剰なストレスによってこのバランスが崩れると、排卵やホルモン分泌が乱れ、着床しづらい状態になります。

カギを握るのは「オキシトシン」

オキシトシンは「愛情ホルモン」や「絆ホルモン」とも呼ばれます。

出産時に子宮の収縮を促したり、授乳時に母乳の分泌を助けたりするだけでなく、人とのつながりや安心感を感じたときにも分泌されるのです。

たとえば、パートナーと手をつないだとき、誰かにやさしく話しかけられたとき、あるいはペットをなでたときにも、オキシトシンは分泌されます。

そしてこのオキシトシンは、ホルモンであると同時に、妊娠に最も重要な神経伝達物質のひとつなのです。

オキシトシンが増えると、自律神経のバランスが整い、血流が改善し、子宮や卵巣の働きがスムーズになります。

さらに脳の中ではドーパミンやセロトニンとの協調によって「幸福感のループ」が生まれます。

これが、「からだが妊娠を受け入れやすい状態」なのです。

不妊治療がオキシトシンを減らしてしまう!?

皮肉なことに、不妊治療によってこのオキシトシンの分泌が低下します。

頚膣超音波検査による卵胞チェック、頻回の注射、通院スケジュール、そして結果への不安——。

これらの緊張やプレッシャーは、脳に「危険」や「不安」といった信号を送り、交感神経が優位になります。

交感神経が優位になると、体は「戦うか逃げるか」のモードに入り、生殖機能よりも生存を優先する体制をとります。

つまり、排卵や着床のためのエネルギーが抑制されてしまうのです。

さらに、hMG注射やhCG注射によるエストロゲンの急激な変動も、感情の波や脳内物質のバランスに影響を与えます。

その結果、オキシトシンの分泌が抑えられ、「妊娠しにくい状態」を自ら作ってしまうことになるのです。

「やめたとたん妊娠した」その背景にあるリセット作用

不妊治療をやめるという決断は、カップルにとって大きな勇気が必要です。

しかし同時に、その決断は心と体をリセットするきっかけにもなります。

「もう頑張らなくていい」と思えた瞬間、緊張の糸がふっと緩みます。

それまでずっと抑え込まれていたオキシトシンが、再び分泌されます。

人と笑い合ったり、好きなことを再開したり、旅行に出かけたりする中で、体は自然に「安心モード」を取り戻していくのです。

そうして迎えた排卵周期に精子と出会えれば、受精・着床が起こる——。

この流れは、「生理的な回復」として理解することができます。

「オキシトシン妊活」も不妊治療

ここで誤解してほしくないのは、「不妊治療をやめれば妊娠できる」という単純な話ではないということです。

大切なのは、“治療を続けながらでも、オキシトシンが働ける環境をつくる”という視点です。

たとえば——

  • パートナーとのスキンシップを意識して取る
  • 「妊娠するため」ではなく「心地よく過ごすため」に趣味の時間を持つ
  • 自分の気持ちを誰かに話す
  • 深呼吸や瞑想、軽い運動を取り入れる

こうした小さな積み重ねが、オキシトシンの分泌を助け、からだを妊娠しやすい状態に戻してくれます。

「癒し」と「治療」を両立させること——それがこれからの妊活や不妊医療に求められる姿勢だと、私は考えています。

おわりに

「不妊治療をやめたら妊娠した」という出来事は、単なる偶然ではありません。

そこには、人間の体が本来持つ「バランスを取り戻す力」が働いたのです。

オキシトシンを中心とした神経伝達物質の協調は、私たちの心と体を静かに、しかし確実に整えていきます。

不妊治療の現場でも、この“見えないホルモンのはたらき”を大切にしていくことで、もっと多くの方が「自分らしい妊娠」を迎えられるはずです。

著者
こまえクリニック院長
こまえクリニック院長放生 勲(ほうじょう いさお)