以前、私はブログに、
「体外受精ですか? 海外旅行ですか? 海外受精するかもしれません」
という、少し刺激的な記事を載せたことがあります。
この言葉は、体外受精を軽視するためのものではなく、体外受精という選択肢に真剣に向き合うご夫婦にこそ、一度立ち止まって考えてほしい視点を提示したい、という思いからの問いでした。
一組のご夫婦の話
この記事を書いたきっかけは、実際に「不妊ルーム」で経験した、あるご夫婦の出来事でした。
体外受精に進むことを決断し、いよいよ治療を開始する直前、「一区切りつけよう」と海外旅行に出かけたのです。
すると、帰国後しばらくして自然妊娠が判明しました。
治療を始める前の、ほんのわずかな時間の出来事でした。
この話をブログに書いたところ、当然ながら批判の声も寄せられました。
「不謹慎だ」
「私たちは真剣に体外受精に取り組んでいるのに」
その気持ちは、間違っていないと思います。
不妊治療は、時間もお金も、そして心のエネルギーも必要とする、非常に真剣な取り組みです。
軽い話題として受け取られてしまったとしたら、それは本意ではありません。
それでも伝えたかったこと
それでも私がこの問いを投げかけ続けるのは、同じような出来事を、一度や二度ではなく、何度も見てきたからです。
不妊治療という大きなストレスから一時的に解放され、心と体の緊張がゆるんだとき、思いがけず妊娠に至る。
これは偶然ではなく、「不妊ルーム」では繰り返し経験している現実です。
不妊治療は、身体への負担以上に、心理的なストレスが大きな治療です。
結果を待つ時間、数値に一喜一憂する日々、先の見えない不安。
こうした状態が続くと、自律神経は乱れ、ホルモンのバランスにも影響が出やすくなります。
これは気持ちの問題ではなく、医学的にも説明できる反応です。
「体外受精ワールド」に入るということ
体外受精にエントリーすると、妊娠は「体外受精の中で起こるもの」だと、無意識のうちに考えるようになります。
採卵、受精、培養、移植。すべてが管理され、予定され、評価される世界です。
この世界は安心感を与えてくれる一方で、妊娠が日常生活から切り離されてしまう危うさも併せ持っています。
妊娠は、本来、治療の成果としてだけ起こるものではありません。
夫婦の生活、関係性、心と体の状態、その延長線上に自然に訪れるものです。
治療が中心になりすぎると、夫婦は「パートナー」ではなく、「治療チーム」のようになってしまいます。
そのズレが、妊娠の妨げになることもあるのです。
「海外旅行」が象徴するもの
ここで言う海外旅行とは、場所の問題ではありません。
治療から一度距離を置き、結果を考えなくていい時間を持つこと。
非日常の中で、よく眠り、よく笑い、よく話すこと。
何より、夫婦が再び「一組の男女」に戻る時間を持つことを意味しています。
あのご夫婦は、体外受精に進む直前で、無意識のうちに何かを感じ取ったのかもしれません。
「このままでは、少し頑張りすぎている」
そんな感覚だったのではないでしょうか。
治療をやめたのではなく、一度立ち止まった。
その選択が、結果として自然妊娠につながったのです。
誤解しないでいただきたいのは、これは「体外受精か、海外旅行か」という話ではない、という点です。
本当に大切なのは、体外受精という選択をする前に、心と体の余白が残っているかどうかです。
「不妊ルーム」からのメッセージ
不妊ルームは、治療だけを進める場所ではありません。
迷い、立ち止まり、考え直すことを許される場所でありたいと考えています。
「体外受精ですか? 海外旅行ですか?」
この問いは、今の自分たちの状態に気づくための、大切な問いかけなのです。

