体外受精を受けると夫婦喧嘩が増える — それは“心”の問題ではなく“hMG注射”のせいです —

「最近、夫にイライラする」

体外受精を始めてから、ちょっとしたことで夫婦喧嘩が増えた——

そんな声を本当によく耳にします。

「夫が悪いわけじゃないのに、なぜか腹が立つ」

「涙が止まらない」

「自分でも感情がコントロールできない」。

でも、それはあなたの心が弱いからではありません。

原因は、hMG注射によるホルモンの乱高下にあるのです。

hMG注射とは何か

hMG(ヒト閉経ゴナドトロピン)とは、卵巣を刺激して複数の卵を育てるための注射です。

中には、FSH(卵胞刺激ホルモン)とLH(黄体形成ホルモン)という2種類のホルモンが入っています。

通常の月経周期では、FSHとLHは脳の視床下部から微妙なリズムで分泌され、ひとつの卵胞をゆっくりと成熟させていきます。

しかしhMG注射を使うと、卵巣が一気に刺激を受け、複数の卵胞が同時に育つ“非日常的なホルモン状態”になります。

つまり、hMGを打っている間の体は、普段のあなたとはまったく違うホルモン環境に置かれているということなのです。

ホルモンの急上昇が「感情の波」を作る

卵胞が育つと、卵巣からエストロゲン(E2:エストラジオール=女性ホルモン)が分泌されます。

通常の周期では、このエストロゲンはゆっくりと上がり、ピークでも200pg/mLほど。

ところがhMGを使用すると、その上昇カーブはまるでロケットのようになります。

刺激開始時(生理3〜5日目ごろ)は30〜80pg/mL程度だったE2が、注射を続けるうちに1000〜3000pg/mL、高刺激では頻回のhMG注射により、5000pg/mLを超えることもあります

短期間にここまでホルモンが上がるのは、通常の体にはない状態です。

エストロゲンは、脳の視床下部や大脳辺縁系(感情を司る部位)に直接作用します。

そのため、急激な上昇は脳内の神経伝達物質のバランスを乱し、

  • 気分の浮き沈み
  • イライラ
  • 涙もろさ
  • 不安感

といった「PMS(月経前症候群)」に似た症状を強く引き起こします。

つまりあなたは、「ホルモン・ジェットコースター」に乗っているような状態。

心が揺れるのは、ごく自然な反応なのです。

採卵前後の「ホルモンクラッシュ」

hMG刺激の最終段階、採卵前にはE2がピークを迎えます。

その後、採卵を行うと卵胞が崩壊し、エストロゲンは急降下します。

たとえば5000pg/mLあったものが、翌日には1000pg/mL以下、数日で100pg/mL台まで下がります。

この“急降下”が、いわばホルモンクラッシュ

体はまるで急ブレーキをかけられたような状態になり、無気力感・虚脱感・涙もろさ・パートナーへの不満が一気に噴き出すことがあります。

実際、この時期の女性の心の状態は「産後のマタニティブルー」にとても似ています。

つまり、これは病的なホルモン変動による反応であり、心の弱さではないのです。

体のストレス反応も拍車をかける

卵巣を強く刺激すると、卵巣は腫れ、腹部が張ったり痛んだりします。

さらに「今回こそは」という期待や不安が重なり、身体は交感神経優位の「緊張モード」になります。

このとき脳内のセロトニンやオキシトシンが減少し、心がギスギスしやすく、怒りや涙が出やすくなるのです。

つまり、「ホルモンの急上昇 → 交感神経の緊張 → ストレスホルモンの増加」という連鎖が起こり、感情のバランスが大きく揺れるわけです。

夫婦関係への影響

こうした身体的・精神的な負荷を、パートナーの男性が理解するのは容易ではありません。

「いつもと違う」「どう接したらいいかわからない」と戸惑う男性も多いでしょう。

でも、これは脳が“ホルモンに反応しているだけ”なのです。

一方、女性側も「イライラしてはいけない」「夫に当たっちゃだめ」と自分を責めてしまうことがあります。

けれど、それは無理をしている証拠。ホルモン変動に抗うことは難しいのです。

夫婦喧嘩は、体が戦っている証。

あなたが体外受精という大きな挑戦をしている証拠でもあります。

「不妊ルーム」から体外受精へ進む場合

私は「不妊ルーム」で体外受精へ進むことを希望される方に対して、高刺激採卵(ロング法・ショート法など)を原則としておすすめしません

なぜなら、女性の体のホルモンリズムは非常に繊細で、本来は脳下垂体という“指揮者”のもと、FSH・LH・エストロゲン・プロゲステロンといった“楽器”が美しくハーモニーを奏でるように、月経周期がコントロールされているからです。

高刺激法は、このオーケストラにいきなり大音量のトランペットを吹き込むようなもの。

体のリズムが乱れ、精神的にも肉体的にも負担が大きくなります。

一方、低刺激周期や自然周期による体外受精は、体のもともとのリズムを壊さず、ホルモンの急変も少なく、穏やかに治療を進められるという利点があります。

その分、採れる卵子の数は少なくても、心と体のバランスを守るという意味では、非常に理にかなった方法です。

hMG注射がもたらす影響は、感情の変化に留まりません。

卵巣や内膜への作用、体調全体への負担など、まだ語るべきことはたくさんあります。

そのあたりは、また別の機会にお話ししていきたいと思います。

著者
こまえクリニック院長
こまえクリニック院長放生 勲(ほうじょう いさお)