不妊ルーム院長が執筆いたしました書籍「不妊治療の不都合な真実」の内容の一部をご紹介いたします。
■「卵子の年齢」のウソ
女性が妊娠・出産ができる可能性を判断する上では、これまでいくつかの指標が参考にされてきました。
まず、30〜40年も前から、卵巣の老化の指標として用いられてきたのはFSH(卵胞刺激ホルモン、Follicle-Stimulating Hormone)です。これは一言でいえば、卵子を育てるホルモンです。
FSHの値は、年をとることで上がっていきます。加齢とともに卵子は成熟しにくくなるため、卵子を育てるホルモンであるFSHの分泌量が多くなるわけです。20〜30代では大体ひと桁ですが、40代からふた桁代になり、その後は70歳に入ると70ぐらいというふうに、ほぼ実年齢に即して上がっていくため、長い間これが唯一の指標として用いられてきました。
15年ほど前に、あらたにAMH(抗ミュラー管ホルモン、anti-müllerian hormone)という指標が登場しました。この検査がその後普及したことで不妊診療が激変しました。
AMHは卵胞の中にある卵子を取り巻いている顆粒膜細胞から出されるホルモンです。
人間の卵子の大きさは0・1ミリぐらいでヒトの細胞では最大のもので、目を凝らせばギリギリ見えるぐらいの大きさです。この大きさは、排卵のプロセスが進む間ずっと変わりません。一方、卵子を包んでいる「卵胞」という袋は、しだいに大きくなっていきます。排卵直前には平均22ミリにまで達するといわれ、超音波検査でその姿を明瞭に見ることができます。
受精とは2億〜3億の精子の中で最後の一匹だけが受精するという過激な生存競争ですが、卵子にもそうした生存競争があります。
卵巣の中では、一ヶ月に10個から50個の卵胞が排卵に向けて育ちますが、この生存競争のなかで、あるときから一つだけ大きくなり、それが排卵されます。残りの負けた卵子は、全部、アポトーシス(細胞自殺)という機序で消えていきます。
女性の卵子の数は年を取るとどんどん減っていきますが、卵子の数が減っていくと、この生存競争のレースにエントリーする卵子も減ってくる。したがってAMHの値は、卵巣の中にある卵子の数と相関すると言われているのです。
このAMHという新しい指標が登場したことによって、実際の年齢に関係なく、採血だけで妊娠できる可能性の高さがわかるようになりました。
AMHの測定は保険診療ではありません。もともと採血には3万〜4万円がかかっていましたが、普及するにつれて、一万円前後の料金でおこなっているクリニックが大半です。なかには患者さんを体外受精へ誘導するためでしょうか、3000円程度で行っているところもあります。
最近では、女性がクリニックのドアをノックするや、AMHを測るところが多いのです。そして値が出てくると、「あなたの実年齢は35歳だけれど、AMHの値をみると42〜43歳に相当します。体よりも卵巣が年を取っているということです。一日も早く体外受精をしないと、子どもを授かることはできませんよ」というストーリーになるわけです。
こういう話を、私は不妊治療を経験した女性からどれだけ聞いたかわかりません。ようするにAMHの検査は、ていよく患者さんを体外受精へと誘導するためのツールなのです。
■AMHの値は当てにならない
体外受精の問題を語るうえで、「AMH」の問題は避けて通れませんので、もう少し詳しく解説します。AMHと卵子の数、卵巣年齢との関係を理解するには、抽選会や福引きなどでよく使われる、ガラガラと回して玉がポンと一個出てくる抽選器を思い浮かべていただくとわかりやすいかもしれません。
抽選器には通常、いろいろな色の玉が入っています。でもここでは、話をシンプルにするために、「白い玉=ハズレ」、「赤い玉=当たり」の2種類の玉だけが入っていると考えてください。卵子に置き換えた場合、「赤い玉が、赤ちゃんになりうる卵子」、「白い玉が、そうでない卵子」ということになります。
まだ年齢が若い女性の卵巣の場合、そのなかに入っている玉の数そのものが多いだけでなく、「白い玉」よりも「赤い玉」の割合が高い、という特徴があります。当然、この抽選機をまわした場合は、「赤い玉」が飛び出すことが多くなります。
しかし年齢が進むにつれて、玉の数全体が減っていくとともに、「赤い玉」と「白い玉」の比率も逆転していきます。年齢が上がるにつれて、「白い玉」が出てくる場合が高くなるのはそのためです。
ただし、ここで大切なことは、「毎月出てくる玉は1個だけ」ということです。
つまり、「AMHの値は玉全体の数と年齢が相関する」という、ただそれだけのことなのです。AMHの値によって、「玉の色」まで評価することはできません。
20代の女性であれば、1年に12回排卵があれば、そのうち7〜8回は「赤い玉」が排卵されます。そして35歳であれば4〜5回程度、40歳に近づけば2〜3回程度に減っていくだろうと予想できます。しかし、年齢が高いからといって、「赤い玉」が全く出てこないというわけではありません。
繰り返しますが、AMHという値からは、「赤い玉」と「白い玉」の比率については何も読みとることができません。むしろこの「卵の質の評価」に関しては、以前から使われていたFSHの値のほうが相関性が高いのです。にもかかわらず、AMHの値を持って体外受精に誘導されるというケースがいまも後を絶ちません。
(~中略~)
AMHの検査は健康保険適用外で、通常1万〜1万5,000円がチャージされるため、1回のみしか検査を行わない場合がほとんどです。ところがその値で、その人の卵巣の卵の数の指標、ひいては卵巣年齢と診断されてしまいます。
(~中略~)
AMHの値が高くなっている周期は、サバイバルレースにエントリーする卵子の数が多い時期にあたります。さらに重要なことは、これが必ずD3、すなわち毎回生理3日目に測定された信頼できる数値ということです。
この方はある年の1年間で、都合8回AMHの値を検査していますが、AMHの値は0・4〜4・6まで幅があり、激しい変動があります。このうちでいったいどの数値が、彼女の卵巣年齢なのでしょうか。1度だけの検査の数値を鵜呑みにすることは危険です。
ちなみに、これは男性の場合も同様です。セックスが成立するカップルの場合、不妊治療の際に男性は精液検査しかなされませんが、精子の数や運動率も、やはりアップダウンがとても激しいのです。しかし男性のなかには、「数が少ない」「運動率が悪い」と言われると、男性として否定されたように感じる人もいます。男性因子は、コンディションによって変動します。仕事がきつい繁忙期と、リラックスできる時期とでは、ほとんどの場合、後者の方が数や運動率が高いのです。こちらも、一度だけの検査結果を鵜呑みにしないことが大切です。
■AMHの値が悪くても妊娠する
AHMの値があまりあてにならないことは、私が「不妊ルーム」でフォローアップした結果、妊娠された40歳の女性の例からもわかります。この方をHさんとしましょう。
Hさんは2003年に結婚し、子どもに恵まれなかったため、2006年から不妊治療を開始しました。1年以上タイミング法による治療を行ったのち、人工授精を10回以上も行いましたが、妊娠に至りませんでした。その後、体外受精にエントリーして3回目の体外受精で第一子を授かりました。この時彼女は36歳でした。
Hさんは2011年から2人目の出産を希望して、再度不妊治療を始めました。この時にAMHの検査を行ったところ、その数字は0・82でした。このときHさんは、医師から「50代半ばの女性の数字だ」と伝えられたそうです。
そこで、すぐに体外受精を行うようにすすめられ、あらためて体外受精を行うことになりました。
しかし、これがとてもおかしな話であることは、少し考えればわかります。なぜなら、もし「50代半ばの女性の数字」であれば、妊娠はあり得ないからです。それなのに、この医師はHさんたちカップルを体外受精にエントリーさせようとしたのです。
とても残念なことですが、体外受精にかかわる医師にはこういう人がいるのです。
実際、Hさんは体外受精を3回行っても妊娠に至りませんでした。
彼女が「不妊ルーム」に相談にこられたのは、このあとのことでした。すでに彼女は40歳になっていました。
私はまず、卵巣機能の指標である生理中のFSHの値を調べました。Hさんの場合、その数値は30代半ばに相当するものと判断しました。しかし、女性ホルモンの指標と考えられているDHEAの値を調べてみると低かったので、私は彼女にDHEAサプリメントの服用を勧めました。
また彼女はプロラクチンの値も若干高かったので、これに対する治療も行いました。そして漢方薬も併用するという内科的なフォローアップを行ったところ、結果的にHさんは妊娠に至りました。
彼女が当院に来たとき、「高度生殖医療はもうあきらめました。やりきったと思います。もしまだ少しでも自分に妊娠する可能性があるならば……」とおっしゃいました。私にはこの言葉がとても印象的でした。
このことからもわかるように、「AMHは卵巣年齢の指標」という言い方は、決して正確ではありません。AMHの値が示すものは、卵巣の中に残されている卵の数の指標にすぎないのです。

「不妊治療の不都合な真実」